Nikaho Art Project
海だった記憶を宿す九十九島、松尾芭蕉が涙した絶景、鳥海山が育む伏流水と信仰。
現地取材・音声記録・資料館解説・寺社案内録をもとに編纂した、
地域資源の全記録完全版。
Index
Chapter 00
Orientation & People
2026年8月26日、秋田県にかほ市(旧象潟町浜ノ田)にて開催された、にかほ市アート・プロジェクトのキックオフ・オリエンテーション。県や秋田公立美術大学と連携し、にかほ市の土壌や環境をアーティストの制作活動へインプット。地域の方々との関わりを通じて文化の拠点形成を図る。集った作家・講師・行政関係者たちの声をここに記録する。
にかほ市の地域資源——土壌や環境——をアーティストにインプットし、作品制作へと活かすプロジェクト。秋田県や秋田公立美術大学等と連携しながら、地域の方々との関わりを通じて文化の拠点を形成することを目指す。
DAY 1:旧象潟町 — フィールドワークツアー(オリエンテーション後、郷土資料館へ移動・見学)。
DAY 2:旧金浦町 — 金浦港(漁連)ヒアリング、飛の崩れ視察、白瀬南極探検隊記念館、大竹地区いちじく生産者。
DAY 3:旧仁賀保町 — フィールドワーク(詳細は今後展開)。
年間を通じてワークショップ・展示会・トークショーなどを継続的に展開する。
プロジェクトの目的や土壌づくりの重要性を説明。地域の方々の協力を得ながら作品作りを進めてほしいと呼びかけた。にかほ市関係者への感謝を表明し、アーティストや外部講師のサポートに全力を尽くすと述べた。
県事業としてのスタートを歓迎・応援。池田修三の版画や映画『ルックバック』など、市には芸術文化の土壌があることを紹介した。
9月の音楽フェスや映画公開に関心。アーティストたちが「まだ見ぬ景色」を見ることを楽しみにし、地域の人の温かさを感じてほしいと語った。
演劇、ダンス、身体表現のパフォーマンスを中心に活動。初日を迎え、これからの活動をとても楽しみにしている。
長野県にて、生まれ育った土地をテーマにした油絵やインスタレーションを制作。拠点から離れた熱量ある土地での新しい発見を期待。
秋田県を中心に活動し、鳥海山麓の自然に魅了されている。愛するにかほの自然風景を撮影できる機会を大変嬉しく思っている。
秋田市出身、大学時から京都在住。各地でフィールドワークベースの制作を行う。選ばれたアーティストたちと共に、にかほ周辺の状況を深く知りたいと語る。
専門は景観デザイン・まちづくり。にかほ市には5年以上関わる。「県境国会」に80人が集まるなど文化への関心の高さを実感し、アーティストがもたらす変化に期待する。
鳥海山・飛島ジオパークのガイド。鳥海山麓の自然・食・住すべてに関わり、「鳥海山なしではにかほはあり得ない」という観点で案内したいと語る。
鳥海山が好きで、伝承芸能の継承者でもある。7合目までの登山ガイドや伝統芸能の継承を行い、自然と文化の両面が自身の強みだという。
4月に着任し、当初からの公募等に関わってきた。にかほ市の協力に感謝し、プロジェクトが大きな動きになってきたことに驚きと期待を語った。
旧象潟町生まれ、旧仁賀保町育ち。現在大学2年生。挨拶と自己紹介を行った。
Chapter 01
The Legend of Kisakata
紀元前466年(約2500年前)、標高2236mの鳥海山で大規模な山体崩壊が発生。海までわずか16kmという急峻な地形を岩屑なだれが駆け下り、大量の岩塊が海へと流入した。これがのちに「九十九島」と呼ばれる無数の島々の原型となった。
地名はかつて多く採れた「キサガイ(蚶貝)」に由来し、後に「象潟」の字が当てられた。江戸時代には松島と並ぶ景勝地として名を馳せ、緑豊かな松と明るい白い岩肌の「陽の松島」に対し、鳥海山の岩石による灰色の奇岩と雨の風景は「陰の象潟」と評された。「松島は笑うが如く」「象潟は怨むがごとし」——晴れやかさと憂いを対比させて語り継がれてきた。
物言わぬ証人「埋もれ木」— 象潟郷土資料館蔵
元禄2年(1689年)3月27日、江戸・深川を出発。156日間・約2400kmに及ぶ『おくのほそ道』の旅において、芭蕉は「いよいよ象潟へ行くのだ」と特別な想いを抱いていた。西行や能因法師ら先人が歌に詠んだ地(歌枕)であり、秋田県内では唯一の歌枕である象潟への訪問は、旅の最大の目的の一つだった。
象潟や 雨に西施が ねぶの花
雨に濡れてうなだれるように咲く「合歓(ねぶ)の花」を、中国四大美女の一人「西施」の憂いに沈む姿に重ねた句。西施には、その美しさのあまり魚が泳ぐのを忘れて水底に沈んだという「沈魚」の逸話がある。当初は「象潟の〜」としていたが、湧き上がる感動と強い詠嘆を込めるため、切れ字を用いて「象潟や〜」へと推敲された。かつて芭蕉が上陸したとされる場所には、『おくのほそ道』300年を記念して平成元年(1989年)に建立された松尾芭蕉の像が、静かに往時の情景を今に伝えている。
芭蕉が涙した往時の景観を偲ぶ地形
江戸時代の象潟は、島々を境内とする蚶満寺を中心に一大観光地となり、お賽銭の落ちるほど多くの人が訪れた。本荘藩主が干拓を計画した際、蚶満寺の和尚が命懸けで反対し、自身の処罰と引き換えに絶景を守り抜いたと伝わる。藩主が自慢のために描かせた「象潟屏風」には、島々の名や当時の風光明媚な姿が克明に記録されている。
本荘藩は美しい景観を保全するため、「島守」という管理制度を設けた。島守は草刈りや松の植林を担い、その功績から特例として島内に墓を建てることすら許された。現在もそのお墓が残っている。元々この地は仁賀保氏(一万石)が治めていたが、その領地は長男(七千石)・次男(二千石)・三男(千石)へと分割され、長男の家系が後継ぎ不在により断絶。その後、一帯は本荘藩が治めることとなった。当時、海には「駒留島」「下島」「烏帽子島」「弁天島」など名前の付いた小島が多数点在し、風光明媚な景観を誇っていた。
1801年、伊能忠敬が象潟の測量を実施。その3年後、1804年(文化元年)の大地震により海底が一晩で約2メートルも隆起し、海が完全に干上がり、絶景は突如として陸地へと変貌した。地震後、伊能忠敬が再訪し、劇的な地形変化を地図に書き残している。
現在も島々の岩肌に残る江戸時代のカキの殻やフナクイムシの跡が、かつてそこが海であった決定的な証拠となっている。大きな被害と財政難に直面した本荘藩は、隆起した土地を水田にするべく、島の一部を崩しながら開墾を進めた。開墾の波を逃れた小島たちは、現在も広大な田んぼの中に「小山」として点在している。
春に水田へ水が張られると、かつての入り江に島が浮かぶ姿が蘇る。水田地帯に島が浮かぶ独自の景観は国指定天然記念物として保護され、郷土資料館では屏風・絵図・埋もれ木などの資料が、自然の脅威と先人が守り抜いた文化の軌跡を現代に伝えている。
Chapter 02
Kujukushima — The Hundred Islands
かつて海だった記憶を宿す、田んぼに浮かぶ小さな島々。溶岩がつくった独特な岩の地形と、そこに息づくキツネノカミソリをはじめとする希少な植生——散策で出会った「陸の海」の記録。
「九十九島」は、紀元前466年の鳥海山の山体崩壊で海へ流れ込んだ岩塊を原型とする島々の総称。1804年の象潟地震で海底が一晩で約2メートル隆起し、海が陸へと変貌した後も、開墾を逃れた小島たちは水田の中に「小山」として点在し続けている。緑の稲穂の中に浮かぶその姿は、かつてそこが海であったことを今に伝える生きた地形である。
島々を形づくる岩は、鳥海山の噴火でもたらされた溶岩由来のもの。「溶岩が冷えて固まった」と表現されるような、巨大で特徴的な岩が点在する迫力ある地形を随所で観察することができ、自然の力強さと特異な景観が広がっている。
島々の周辺を散策する中で発見されたのが、ヒガンバナ科の植物「キツネノカミソリ」。花が咲く時期には葉が全くないという特徴的な姿が、その名の由来となっている。乾いた岩肌と湿った水辺が隣り合う九十九島特有の環境が、こうした希少な植生を育んでいる。
見晴らしの良い高台には、女優・吉永小百合さんがかつてこの景色を眺めた立ち位置を示す「足跡」のモニュメントも残されており、九十九島が古くから多くの人を魅了してきた景勝地であることを物語っている。
九十九島に自生するキツネノカミソリ
島々の間には、過去の「象潟地震」による甚大な被害を後世に伝える石碑が残されている。碑には「今後いつ何が起きるか分からないため、心して生きなさい」という、現代にも通じる防災のメッセージが刻まれており、九十九島という穏やかな景観の奥に眠る、地形変動の記憶を静かに物語っている。
Chapter 03
Kanmanji Temple
通常正面を向く仁王像だが、海からの強烈な北風による風化を防ぐため、互いに向かい合うという珍しい配置がとられている。境内には中国「二十四孝」の精巧な彫刻も残る。
山門には、中国に伝わる24の親孝行の物語「二十四孝」をはじめとする極めて精巧な木彫が施されている。そして境内で最も象徴的なのが、通常正面を向く仁王像でありながら、海からの強烈な北風による風化を防ぐため互いに向かい合うという珍しい配置がとられている点だ。
江戸時代、本荘藩の干拓から象潟の美しい景観を守るため、第70世・覚林(かくりん)和尚は京都の宮家の後ろ盾を得て命がけで抵抗した。結果として藩の怒りを買い、牢の中で獄死したが、象潟を守った最大の恩人として今も称えられている。覚林和尚の抵抗は、後の松尾芭蕉が涙した絶景を、次の世代へとつなぐ決定的な出来事となった。
境内には数多くの不思議な伝説が残されており、案内では以下の5つが紹介されている。
子供がイタズラで木の股に乗せたお地蔵様が、木の成長とともに高く持ち上がってしまったもの。
北条時頼が植えたと伝わり、寺に異変の兆しがある時にだけ咲くと言われている。
樹齢約700年。異変が起こる時に夜泣きすると伝えられる古い椿の木。
覗き込んで水面に顔が映れば長生きし、映らなければ短命に終わると恐れられた伝説の井戸。
なぜか魚が上流へと上がってこない不思議な沢。
西施像:松尾芭蕉が『おくのほそ道』で、象潟の美しさを中国の絶世の美女・西施に例えたことに由来して建てられた。
神功皇后と北条時頼:古くから多くの権力者や文化人が訪れた地であり、神功皇后の伝説や、鎌倉幕府5代執権・北条時頼にまつわる史跡も境内に残されている。
象潟と松島を結ぶ悲恋:象潟の娘「たに」と、松島から訪れた「小太郎」の悲恋物語。この物語が縁で、現在のにかほ市と松島町は「夫婦町(姉妹都市)」となっている。
Chapter 04
Walking Report
自然と歴史の足跡を巡る散策の記録。溶岩の岩肌、珍しい植物、女優の足跡、そして地震の教訓碑——記録地:秋田県にかほ市 象潟周辺。
「溶岩が冷えて固まった」巨大で特徴的な奇岩が点在。自然の力強さと特異な景観が広がっている。
花が咲く時期には葉が全くないという特徴的な姿が名の由来となるヒガンバナ科の希少な植物。
見晴らしの良い高台に残る、女優・吉永小百合さんがかつてこの景色を眺めた立ち位置を示すモニュメント。
「今後いつ何が起きるか分からないため、心して生きなさい」という、現代にも通じる防災のメッセージが刻まれた石碑。
Chapter 05
Kinpo Shrine & Kotaki
1300年前、役の行者が開いたと伝わる修験の聖地。国指定重要無形民俗文化財「小滝のチョウクライロ舞」と、奈曽の白瀑が息づく信仰の里。
約1300年前、修験道の開祖である役の行者(えんのぎょうじゃ)が、この地の滝に神聖な力を感じ開創したと伝わる。境内には神社でありながら仏教要素である「鐘」が残されており、かつての神仏習合の歴史を色濃く残している。
秋田県内で唯一、修験の要素を持つ舞として伝承される「小滝のチョウクライロ舞」は、小滝番楽とともに国指定重要無形民俗文化財に指定されている。全7演目があり、観客に見せるためではなく、鳥海山大権現に捧げる神事として厳格に行われる。
宝物殿には、万治2年(1659年)作とされる大変古い「陵王(りょうおう)の面」など舞楽面が現存。約1200年前に慈覚大師が自ら彫ったと伝わる三十三観音の第一番となる観音像も安置され、厳かな信仰の記憶を今に伝えている。
落差26m・幅11mの壮大な滝。かつて修験者が水行を行った神聖な場所であり、約1300年前、慈覚大師が妖怪「手長足長」を鎮めたという伝説も残る。境内には人工物のように規則正しい自然石「柱状節理」の石垣やカエルの石像など、人と自然の深い結びつきが今も色濃く残っている。
Chapter 06
Kamigo, the Water Source
県内2番目に整備された配水池、13カ寺あった修験集落の記憶、そして「上郷」という地名が静かに消えゆく現在。
かつては13カ寺もの修験集落が存在していたが、現在残っているのは1カ所のみとなっている。
和光院(わこういん):最初にこの地に定住したとされる、集落のルーツとも言える修験の家。
観正院(かんしょういん):修験の家であるが、現在は親族が誰も残っていない状態である。
慶龍院(けいりゅういん)跡地:現在は四角い石のみが残る。かつては萱葺き屋根であったが廃屋となった。
修験者たちが鳥海山系の稲倉岳のそばで神様を祀ったのが信仰の始まり。鉄塔が2本建っている奥の山が「電学森」と呼ばれている。「上郷村」や「上郷農協」など、かつての地域名が徐々に使われなくなり、住民の間には寂しさが漂っている。
秋田市に次いで県内2番目に整備された歴史ある配水池は、ポンプで水圧を上げて次のタンクへ送水し、高低差を利用して各所へ配水する仕組みが取られている。
Chapter 07
Faith & the Banraku Dance
象潟地震が奪った滝と水路を、先人は独自の測量技術で再建した。神々が行き来する信仰と、子どもの「ごっこ遊び」から継がれる番楽——少子化とコロナ禍を越える、しなやかな継承の物語。
地域には金峰神社、両豊神社、熊野神社などがあり、神様同士が行き来するという伝承が残る。かつてはご神体を背負って険しい山道を登る過酷な神事が行われていた。
象潟地震による大規模な地殻変動で水路が断たれるなどの被害が発生したが、先人たちは水準器の代わりに「ウマグツ(馬沓)」に水を張り水平を測るという独自の測量技術を用い、夜間に火を灯して高さを確認しながら新たな水路を開拓した。
地区で受け継がれる「番楽」は、笛や太鼓、舞から構成される伝統芸能。子どもたちが大人を真似た「ごっこ遊び」を通じて自発的に舞を覚え、自然と継承されてきた。
急速な人口減少とコロナ禍により活動の休止を余儀なくされる場面もあったが、地域はこの危機に対し、長年男性のみとされてきた参加条件を見直し、女性の参加を受け入れるという大きな決断を下した。本質的な伝統を未来へ繋ごうとする力強い意志が確認できる。
Chapter 08
Mototaki Fukuryusui
鳥海山に降った雨や雪が、10〜20年の歳月をかけて湧き出す年間約10度の清冽な水。冷涼な環境が育む、希少な動植物のゆりかご。
元滝伏流水は、鳥海山に降った雨や雪が地下に潜り、約10〜20年の歳月を経て地表に湧き出たものだ。水を通しやすい溶岩層を抜けた水が、下の土石流堆積物にせき止められ、岩の隙間から幾筋もの滝となってあふれ出す。年間を通じて水温が約10度と極めて冷涼なため、農業用水として利用する際は「ため池」などで日光に当てて温める工夫が凝らされている。
冷涼で澄んだ水と独自の環境が、多様で希少な動植物を育んでいる。
秋田県指定天然記念物。綺麗で冷たい清流(10度)にのみ生息する指標。
赤い胞子が特徴の地衣類。別名「モンローズリップ」。
秋になると奈曽川を遡上するが、途中の堰堤で行き止まる。
倒木しても根が生きており、上に向かって成長を続ける強い生命力を持つ。
ラン科の絶滅危惧種。光合成を行わずナラタケ菌に寄生し赤い実をつける。
Chapter 09
Mt. Chokai
平均80年周期で噴火を繰り返す活火山にして、「天然のスポンジ」として命の水を育む山。イヌワシの危機が問いかける、自然と人との共生。
鳥海山は平均して約80年周期で噴火を繰り返す活火山である。2800年前の「猿穴溶岩」や約220年前の「新山溶岩」など、多様な溶岩流が特異な凸凹地形を形成している。激しい土石流が谷を刻む過酷な環境でもあり、地域の安全を守るため、昭和8年には秋田県初となる砂防堰堤が築造された。
過去の噴火で火山灰を出さず、溶岩のみが流れた事例が存在する。これにより冷却時に生じた「節理(岩の割れ目)」が多数形成された。この岩の隙間が巨大な天然のスポンジの役割を果たし、雨水や雪解け水を地下に浸透させる。
かつて秋田・山形両県に生息していたイヌワシだが、現在は全国で約500羽にまで減少し、秋田側では姿を消した。最大の減少理由は「狩り場の喪失」。森林が放置され木が育ちすぎた結果、上空から獲物を狙うことが困難になった。人間と自然の関わり方の変化が、生態系に直結している。
鳥海山は「いつか必ず噴火する」山である。私たちは活火山の脅威に備えつつも、湧水や豊かな生態系がもたらす大地の恵みに感謝し、自然と共生していくことが求められている。
Chapter 10
Day 1 Wrap-Up
秋田県にかほ市。1日目のプログラムを終えた参加者の声と、県内10箇所で開催される「秋田の車座会議」の案内、そして翌日・金浦町での予定。
私自身も日本海側の出身ですが、にかほ市についてこれまで詳しく知る機会がなかったため、本日は非常に勉強になりました。皆さんのアイデアが今後どのような形になるか、とても楽しみにしています。
進行役秋田の車座会議に関するご案内:秋田県内10箇所で開催予定の地域課題解決に向けた対話集会について案内。各自が持つ資源(手札)を持ち寄り、具体的な事業創出を目指す取り組み。
金浦公民館にて集合・オリエンテーション。
徒歩で金浦港(漁連)へ移動し漁師からヒアリング。その後「飛の崩れ」など周辺の海岸線を視察。
地元の飲食店にて昼食休憩。
白瀬南極探検隊記念館にて南極探検の歴史を学ぶ。その後大竹地区へ移動し、いちじく生産者の話や集落の歴史を学ぶ。
金浦公民館へ戻り本日の整理・終了(各宿へ解散)。
本書『象潟大全』2026 EDITION 完全版は、2026年8月に実施されたにかほ市アート・プロジェクトのフィールドワークに際して収集された、オリエンテーション議事録・郷土資料館展示解説・寺社案内録・音声ヒアリング記録・散策探訪レポート等、計12点の一次資料と現地撮影写真を統合し再構成したものである。
取材協力:にかほ市/秋田県/秋田公立美術大学/象潟郷土資料館/蚶満寺/金峰神社/鉾立ビジターセンター/参加アーティスト・講師・ガイド各位。
にかほ・象潟大全 — 2026 EDITION | 秋田県にかほ市