Series — Refugees  ·  Oil on Canvas

Refugees

Works 2014 –  ·  Syria  ·  Africa  ·  Ifo

絵画は、報道が届かない場所へ行く。

「ぜんぶかみさまにいいつけてやるんだから」
— 3歳で死んだシリアの難民の子供が最後に言い残した言葉, 2014

Series Statement

描かないことは、
見なかったことと同じだ。
だから私は、描く。

「難民(子ども)/ Refugees」シリーズは、シリア内戦・アフリカ・ケニアのイフォ難民キャンプで撮影された報道写真を起点に制作された油彩作品群だ。写真という瞬間の証拠を、絵画という時間の堆積へと変換することで、これらの像に別の生を与えようとした。

子どもたちが写真に写った。精度を誇るレンズが「あった」という瞬間を固定する。しかしその多くは、永久に失われた。写真は光の記録として事実を凍結させるが、絵画は、その事実を見る者の身体へと接触させる。カンバスに堆積する絵の具の荒い肌、重なり合う色の層——それは客観的な複製ではなく、画家の眼と手が対峙し、問い直した「存在の記憶」そのものだ。

このシリーズを描き始めたとき、私は絵画に何ができるかより、絵画が何をしなければならないかを考えていた。報道写真はすでにそこにある。環境のなかで見ようと思えば見られる。しかし、見られていない。溢れるイメージの中で消費されるだけの像に対して、あえて油彩を選んだのは、その物質としての永続的な重さのためだ。写真が瞬きの一閃であるなら、油彩は時間そのものの地層だ。

一枚の絵を前にして、私たちは統計という巨大な数字のなかの無名の一人ではなく、一人の子どもの顔、その固有の眼差しと真正面から向き合うことになる。「見ること」の倫理——それは安全な場所からの傍観を許さず、私たちがそこから何を受け取るかという、内なる応答責任の始まりを告げている。

— Tsuda Shoichi

2017
マリーエレン

マリーエレン

72.7 × 100.0 cm / Oil on canvas

背を向け、彼方の風景——無数に連なる白いテントの群れ——を見つめるその姿は、語られない無数の物語を内包している。彼女の眼差しが捉えているのは、失われた故郷の記憶か、それとも果てしなく続く仮設の日常か。

油彩の幾重にも重なる層が、彼女の肌の力強い質感や衣服の鮮やかな文様、出来事の背景にある見えない重圧を画面に確固として定着させている。72.7 × 100.0 cm の縦型カンバスに屹立する彼女の姿は、圧倒的な「個」の尊厳を放つ。統計の数字として一括りにされがちな存在に対し、絵画という物質の重さをもって一人の人間の確かな息遣いと存在の証明を提示する、本シリーズの到達点とも言える肖像である。

2014
「ぜんぶかみさまにいいつけてやるんだから」

「ぜんぶかみさまにいいつけてやるんだから」

116.7 × 91.0 cm / Oil on canvas

これは最後の言葉を持つ絵画だ。タイトルそのものが証言であり、遺言だ。3歳の子どもがシリアの戦禍の中で言い残したというこの言葉——「ぜんぶかみさまにいいつけてやるんだから」——を、キャンバスの題として刻んだ。

描かれた子どもは、まだここにいる。医療施設のベッドに座り、傷を負いながらも、こちらを見ている。あるいは見ていない。油彩の層が証言する——この子は実在した。誰も彼女の名を知らないとしても、この絵はその存在を永続させる。

1/1057000000

1/1057000000

91.0 × 72.7 cm / Oil on canvas

10億5700万——アフリカ大陸の人口を示す数字がタイトルに置かれる。この巨大な数の中に、一人の子どもの身体が横たわる。うずくまり、手を組み、頭を伏せている。

数は人を匿名化する。10億という規模において、個の苦痛は統計の誤差となりがちだ。しかしこの絵画は、その巨数の背後にある一つの身体の重さを問う。横たわる子どもに名前はない。しかし、油彩の厚みがその存在に固有の重力を与えている。

おんぶ

おんぶ

116.7 × 91.0 cm / Oil on canvas

「おんぶ」——これほど日常的な言葉が、これほど重い文脈に置かれることはない。ケニアのイフォ難民キャンプで撮られたこの像において、背負うという行為は愛情であると同時に、生き延びることの全重量だ。

子どもは背にしがみついている。その顔は、笑っているのか、泣いているのか。近景の顔は、見る者と呼吸の距離で向き合う。イフォ難民キャンプには、膨大な人々が暮らしていた。この子は、その確固たる一人だ。

今、シリア

今、シリア

162.0 × 130.3 cm / Oil on canvas

タイトルは「今、シリア」だ。過去形ではない。現在進行形の状況として、この絵画は描かれた。162.0 × 130.3 cm の大判の画面に、子どもの顔と両手が迫ってくる。

血と傷と、それでも開かれた口。叫んでいるのか、呼んでいるのか。両手を前に差し出す姿勢は、助けを求めているのか、あるいはこちらを押し止めようとしているのか。大画面が持つ圧倒的な身体性が、「見て見ぬふり」を不可能にする。これは最も激しく、最も静かな告発だ。

お問い合わせ

展覧会・作品購入・取材・コラボレーション等、
お気軽にご連絡ください。

問い合わせフォームへ
TOP